クローズアップ2014:脱法ドラッグ汚染拡大 種類は1000超、摘発困難
毎日新聞 2014年06月27日 東京朝刊
東京都豊島区のJR池袋駅西口で車が暴走し、8人が死傷した事件は、逮捕された名倉佳司(なぐらけいじ)容疑者(37)の供述などから、脱法ドラッグの一種である脱法ハーブの影響で起きた疑いが強まった。幻覚などを引き起こす脱法ドラッグの規制は進みつつあるが、試薬がないという事情から警察による摘発が難しいという側面も、流行の拡大を抑えきれない理由になっている。依存症患者も急増しているという脱法ドラッグの周辺を探った。【林奈緒美、大平明日香、江刺正嘉、堀智行】
「やばいことをしてしまった。脱法ハーブのせいだとすぐに分かった。ハーブはインターネットで1〜2年前に初めて知った」
池袋駅近くの歩道を約40メートルにわたって暴走し、女性1人を死亡させ、7人に重軽傷を負わせたとして自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)容疑で26日送検された名倉容疑者は、警視庁の調べにそう供述しているという。事件の約20分前に現場近くのハーブ店で脱法ハーブを購入し、車内で吸った直後に事件を起こしたとみられる。
名倉容疑者が訪れた店とは別の現場付近のハーブ店に26日、記者が入った。雑居ビル1階に「雑貨屋」の看板を掲げているが、店内には、小分けされたハーブ約20袋が並んでいた。
「売れ筋は?」。中年の男性店員に尋ねると、「(気分が高揚する)アッパー系が売れている」と言い、店で独自に調合したというサンプル品(1グラム1900円)を勧められた。「違法薬物は扱っていない」と強調しつつ、「吸った後に車を運転するのは困るけど……」と苦笑いした。
警察庁によると、脱法ドラッグの使用後に交通事故を起こして危険運転致傷容疑などで摘発されたのは、2009〜11年までゼロだったが、12年に19人、昨年は40人と急増。今年2月には、福岡市で脱法ハーブを吸った男が乗用車を暴走させ、15人に重軽傷を負わせる事件があった。
厚生労働省は、脱法ドラッグのうち、覚醒剤や麻薬に似た幻覚作用などをもたらす物質を薬事法上の「指定薬物」に定め、製造や販売などを禁止してきた。しかし、化学構造の一部だけを変えた新種が次々と流通するため、昨年3月、中心構造が同じ物質を一括して規制する「包括規制方式」を導入。現在、指定薬物は1378種類に広がった。4月からは改正薬事法が施行され所持や使用も禁じられた。
事件を受け、古屋圭司国家公安委員長は26日の記者会見で「事実上、違法な麻薬に等しいのに、『脱法』と言うと誤解を招く」と述べ、呼称変更を検討する意向を示した。
ただ、脱法ハーブの摘発は、他の薬物とは異なりハードルが高い。警察庁によると、理由のひとつが簡易鑑定ができるキットがないという問題だ。担当者は「覚醒剤や大麻は試薬を尿に入れると色が変わり、分かりやすいが、脱法ドラッグは1000を超える種類があり、対応できる試薬がない」とし、警視庁の捜査幹部は「違法の疑いのあるハーブを所持した人を見つけても現行犯逮捕はほぼ不可能」と語る。改正法の施行以降、警視庁では現場からの本鑑定の依頼が殺到。現在は2000件以上が結果待ちで、特定には2〜3カ月かかるという。
名倉容疑者の車からは、ハーブを詰めたとみられるたばこの吸い殻2本と、ハーブ店の捜索で押収した商品と同じ種類の植物片が入った小袋1個が見つかった。ただ、このハーブが薬事法の指定薬物を含んでいるかは分からず、警視庁は押収品の鑑定を進める。
◇覚醒剤超す幻覚発生率 治療機関少なく依存深刻化
脱法ドラッグが関係した事件や事故が起きる背景には、薬物依存症治療を担う専門の医療機関が全国に十数カ所しかないという事情も見逃せない。治療機会が少ないため、依存症が深刻化するケースが少なくないとみられる。
埼玉県伊奈町の県立精神医療センター(183床)は依存症病棟(40床)を持つ薬物依存症の専門病院の一つだ。脱法ドラッグ乱用による同病棟への入院患者は2011年度は1人だったが、13年度は36人で、覚醒剤の28人を大きく上回り、初めてトップになった。成瀬暢也(のぶや)副病院長は「規制強化のたびに、成分がさらに強力になった新たな脱法ドラッグが登場し、覚醒剤より数倍も激しい症状が出る薬もある。使っても捕まらないため、覚醒剤から切り替える人が増えており、国内では最も危険な薬物だ」と警告する。
精神科病床がある全国の医療施設を対象に、薬物依存症の原因物質を調べている国立精神・神経医療研究センター(東京都)によると、最新の12年調査では、前回調査(10年)までほとんど症例がなかった脱法ドラッグが16・3%を占め、覚醒剤の42・0%に次ぐ2位となった。
乱用3大薬物とされる覚醒剤▽脱法ドラッグ▽向精神薬−−の症例を分析したところ、幻覚・妄想状態が続くケースは脱法ドラッグが45・2%で最も多く、覚醒剤を上回った。薬への渇望を抑制できない「依存症」では58・7%で覚醒剤とほぼ同じ割合だった。脱法ドラッグの乱用が深刻な健康被害につながる危険性が示された。
また、覚醒剤患者の50・0%が暴力団と交流していたのに対し、脱法ドラッグは7・1%。薬物が身近ではない若い男性が、好奇心から依存症に陥る傾向が明らかになった。
同センター薬物依存研究部の松本俊彦・診断治療開発研究室長は「脱法ドラッグの規制はやれるところまでやっているが、やめられなくて困っている人が大勢いる。依存症治療の体制を早急に整え、治療の必要性を広く説かなければ、池袋のような悲劇を防ぐことはできない」と指摘する。